やさぐれメモ

やさぐれたアラフォー男性の自由帳

拝啓 佐伯先生

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」


先生に叱られて心の中で「うるせぇ」 と言い返してから25年が経ちます。 まだ生きていらっしゃいますか?

「お前の行く末が心配じゃ。 お前の人生だろうに、 なんでもっと真剣に取り組まないんじゃ?」
高校2年に上がるとき 私を職員室に呼び出しましたね。
「ここは県立高校だし、 進級だけはさせてやるが」
と切り出した先生は、いつもの奥様御手製のジャケットを羽織っていらっしゃっていました。その愛妻家の面に加えて、一人称の 「儂」が団塊世代のユーモアと相まって、私以外の生徒に人気でしたね。

そんな先生は私のことをいつも目の敵にして叱りつけてきました。 無気力で怠惰だった私は若者らしい大それた志もなく、成績表がどの科目も絶対評価の10段階で3を並べる劣等生でした。
生活態度を毎日注意されていた私はいつも「うるせえ爺さんだな、しつこいな。」とか、 それくらいにしか思っていませんでした。

あの日、「儂はもう定年だが嘱託でこの学校に残る。 もしお前が大学進学を考えているのなら、放課後の儂の補講に来い。」 とおっしゃいました。
あのバカ校から密かに難関大学進学を志していた私は先生の言葉に耳を貸すことなく、職員室を辞しました。

ところで先生は覚えていますか?
あの時、 私の学年にはもう2人、変わり者がいましたね。 なかなかの知性を持った変わり者の男子と女子。 どちらも卒業以来会っていませんが、今では2人とも立派な社会人となりましたよ。
化学が好きで鉄緑会にも潜り込んでいた柱谷。放課後の空き教室で私たち進学希望者に混成軌道論をレクチャーしていた柱谷は、北大に進んで考古学を専攻するはずが東北大を経て、今では一線級のデータサイエンティストとして活躍しています。ググると彼の インタビュー記事がわんさか引っかかります。
そして国語で常に学年トップ、 古文オタクだった沢はお茶の水女子大の院を出て、平安文学の研究者になりました。あの猫背で愛用のグラスフルートを大事そうに抱えていたあいつは今、テレビにも出ていて、大人になったあいつをYou Tubeで見ることができます。

※そういえば沢と私は高校入試の受験番号が連番で、 面接官が佐伯先生でしたね。
※私は母に吹き込まれた通り、両親の方針を 「質素・勤勉・誠実」と話したら先生はニヤニ ヤしていました。 この言葉のルーツをご存知だったのですね。
※入学後、 沢の友人で当時の私の彼女から 「学力的にマッチしていた女子校が嫌で (わざわざランクを落として) この高校に来た」と聞きました。 股聞きですが、 それが本当なら沢らしいエピソードですね。

あの日、高校一年三学期の最後の日。先生に言いたい放題言われた私は腹が立って、その後すぐに、真面目に受験勉強に打ち込みました。高校受験の問題集を買って中学レベルから勉強をやり直しました。そして最終的に先生と同じ大学に進むことができました。
進級後、いつだったか、廊下に貼られた偏差値ランキングを眺めていた私を見つけて声をかけてきましたね。上の方しか見ていない私に気付いたのか、
「儂はここの英文科を出とるんじゃ。この大学は楽しかったぞ。お前もどうじゃ?」
あれは嬉しかったですよ。お前には無理だなんて言うどころか、勧めてきましたね。

素直になれなかった私は室生犀星を気取って、 合格の報告には行きませんでした。 私よりも勉強ができないくせに、受験勉強の邪魔をする教師たち。彼らを憎んでいた当時の私は、 平々凡々で何の特徴もない出身高校に唾を吐く思いで卒業しました。浪人して報告するチャンスも無くしました。

社会人となった私は柱谷や沢と違って、名前をググってもさっぱり引っかかりません。でも、人と比べることに意味はありませんね。結果として私は先生と同じ大学に進みました。先生に対してはもう、それで十分かと思います。
もう会うこともないでしょう。それでも堕落していた私を信じて本気で叱り続けてくれた先生に、大学合格の報告はしておくべきだったかな、と悔やんでおります。

先生、俺、大学に合格したよ。高2から3年間猛勉強して先生と同じ大学に進んだよ。ドラゴン桜シーズン2の藤井くんみたいだけど、こんな文句ばかりのやさぐれたブログ書いているけど、一応は真っ当な会社員をやってるよ!