やさぐれメモ

やさぐれたアラフォー男性の自由帳

そういえば渋井陽子選手が好きだった

毎日20時を過ぎると眠くて仕方がない。朝5時のアラームに気付かず6時〜7時になって慌てる。日中は不整脈が絶えず、「この不整脈は健康には問題なし」と言われたのはもう8年も前のこと。ここ数年の健康診断や人間ドックでは、心電図検査が必ず『要経過観察』。きっと、倒れたのと無関係ではないはず。

眠気といい、不整脈といい、寿命が尽きるのも近そうだ。膝が痛いのはランニングというよりはきっと寒さのせいだろう。身体中が痛いのは在宅勤務による歩数不足。仕事が忙しくてこの十日間は走る余裕もない。

先週末の連休は隙間時間でZWIFTをやった。そして今、ツールドZWIFTはStage3が始まったが、ヒルクライムステージであり食指が動かない。登坂の何が楽しいのかさっぱり分からない。誰もが知っている童謡に「トンネルだ トンネルだ うれしいな」という歌詞があって、子供の頃から理解不能だった。あれと同じ。私に理解する気がないのも原因だが、トンネルの何がどう嬉しいのかさっぱり分からない。登坂も同じ。理解不能

 

とにかく、くたびれて何もやる気が起きない。仕事を真面目にやってしまうからか。

 

忙しい。撒いた種が芽吹いて実り、収穫の季節を迎える。それが自分の担当は実りが遅れている。コロナ禍の悪影響がど真ん中にヒットして、種蒔きが遅れたからだ。チームのメンバーが着々と数字を積み上げているのに、自分だけが遅れている気がしてならない。いや、遅れている。

 

夕食を摂りながら奥さんがタイムシフトNHK朝の連ドラを観て、娘がYouTubeでお気に入りのチャンネルを観て大爆笑している脇で、私は今日も仕事が終わらなかったという自責の念に耐えながら眠気と戦う。

 

朝は強制的に早起きできるように、就寝前に麦茶を500mlから1リットルくらいガブ飲みしているが、起きられない。もっと飲まなければならないか。いよいよ寝具に世界地図を描く日も近い。そして眼を閉じたまま二度と開けることもなくなるのだろう。幸せな旅立ち方。小便まみれで。

 

 

 

辛い。漠然と、生きるのが辛い。仕事で能力不足な自分を認めるのも辛いがそれよりもっと川上の、根源的なところで生きるのが面倒くさい。

仲の良い同僚たちとバカ話をしていないとか、美味いと感じる食事をしていないからか。ZWIFTやランニングが足りていないのもあるだろう。

でもそれだけではない、希死念慮とも異なる何か生物に備わっているはずの生存本能が希薄な、何というか、生きることに飽きたという表現がしっくりくる。

娘を見ていると痛感する。私には彼女のような新しい発見やそれに連なる刺激がない。(正確にはそんな余裕がない。)

 

明確にやりたいこともなく、強いて挙げればZWIFTで開催中のツールドZWIFTを各ステージとも完走してジャージをアンロックしたいとか、マラソン10kmでまずは45 分切りとその後40分切りとか。あとはピクミン3デラックスもちょっとやってみたいけれど、そこまででもない。

 

唐突に書くが、腹が立った思い出に渋井陽子選手にまつわる話がある。実は15年前、一般視聴者として彼女の走りっぷりが好きだった。仲の良い友達にルックスが似ていて親しみを覚えたのもあるが、社会人になりたてのブラック企業時代、暴力が支配する営業所から本社に異動してすぐの頃、何かの大会中継で初めて彼女を見たときにひたむきさを勝手に感じて、それを上司に話したところ

 

「人に憧れるのは、今の自分には無いものをその人が持っているからであり、つまり今の君にはその『ひたむきさ』が足りていないということだ。」

 

と返されて、尊敬し始めていた上司にがっかりすると同時に腹が立って仕方がなかった。まあ腹が立つということは、その指摘がどストライクな証拠ではある。

最近、メールの送信後などに、ひょいとシリアスランナーのブログやらSNSやらを眺めている。家族を放って毎日走り呆けている人たちを眩しく眺めている。15年経った今でもあの言葉が突き刺さったまま、いつまでも抜くことができない、いい歳をしてある種の偶像崇拝

 

そういえば、あの人は今どうしているだろう。拝啓、お元気ですか。私は相変わらず空虚な毎日ですが、生きてはいます。娘もすくすく育っています。こうやってやさぐれた文章を紡ぐことだけに和らぎを感じています。