やさぐれメモ

やさぐれたアラフォー男性の自由帳

ランスマ倶楽部にモチベーションの意味を思う

楽しみにしていたランスマ倶楽部を録画で視聴。藤原さんのフォーム解説とか全く理解できなかったけれど、それっぽくて楽しかった。さすがオリンピアン。ただ番組のテーマ、趣味なのに「モチベーションを維持する」とかいうのが理解できなかった。

おそらく、番組に出てきた一般ランナーの人たちは走ることを仕事にしているのだろう(高校教師の方もいたが)。そうでなければ理解できない。好きなとき、気が向いたときに走ればいいのに、誰に強制されているのかよく分からない。その義務感はどこから出てきたのか。

「レースがなくてやる気が出ない」とか、どれだけ暇人なんだろう。羨ましい。走りたくてもなかなか走れない、そんな人もたくさんいるし、それに比べれば恵まれた環境で羨ましい。その手に巻いているGPSウオッチでタイム計測できるんだから、大会に出る意味も無いと思うのだが。

モチベーションを語っている暇があれば走れ。福島さんを見たまえ。中身は知らないけれど一応、表向きには「走るのが楽しくて仕方がない」人、平日夜の雨の中(頭おかしい)を帰宅も含めてワシワシ走ってるぞ。そうでなければ趣味とは言えないし、そもそも個人の趣味なんてそういった「定義」もいらない。アホでしょ。

私は自転車が少し好きなので子供が寝ている深夜早朝、週末の未明に真っ暗な河川敷をコソコソ走っている。でも雨・強風など落車につながる要因のほか、気が乗らなければ走らない。仕事ではないから、趣味だから。現にこの文章は午前3時に起きて(目が覚めてしまって)書いている。ブログ執筆も趣味。

昨日の強風で河川敷は飛来物などで路面が荒れているだろうから走らない。危ない。でも、もし走りたい気持ちが勝れば、木の枝やらビニール袋が散乱する真っ暗闇の中を走るかもしれない。ただ、私は大怪我をしたくない、機材を壊したくない、走りたくないから行かない。それだけのこと。

コロナだなんだで気が乗らずに走らなくても、好きなら「趣味はマラソンです(趣味は自転車です)」と胸を張って言えばいいと思う。それでいい。もちろん無理に続ける必要もない。


そうだな、コロナ自粛と似ているかもしれない。浅学ながら私的社会科学の観点から述べると、こういう情勢は「べき論」を捨てて自分の気持ちに素直になるのがいい。

昨年の台風で彩湖や荒サイが水の下に沈み、あとに生物学的化学的に危険な汚泥が大量に堆積した。それらを処理して元通りになるまでに半年以上かかったのだが、台風の翌日以降、そこを自転車で走るローディが複数観測された。

直接見たわけではないけれど、それに対して私は「バカでしょ」といった主旨のことを書いた。それは今でも変わらない。



でも一方で、好きにすればいい。社会科学の目的は『自由と秩序の両立』。個人というミクロな単位で好きにすればいい。外食したければすればいいし、旅行したければ、すればいい。これらは政府のお墨付きである。

※社会はミクロな個人の単位で構成されているというツッコミは当たらない。一党独裁の戦時下でもなければ、健全な民主主義においては特に、大衆にはいつの世も逆張りが存在する。もちろん一党独裁の軍事政権下でも反政府組織というものが必ず出てくる。

それを「自粛しなくちゃ」とか言って自由意志で勝手に自粛した上で、好き勝手に振る舞う人たちに不満を持つのは、心情的には理解はするが、論点がずれている。感染したくない・広めたくないなら自粛すればいい。それ以上にやりたければ好きにすればいい。こういった社会情勢下では、それでいい。無理をすると心を壊す(cf.蕁麻疹)。

別に誰にも言われてないけれど、育児中の身で自転車に乗るなんて不謹慎か?そういうこと。不謹慎かどうかの線引きは自分で考えて自分で決める。やりたければやる、やりたくなければやらない。それでいい。そこに「モチベーション」という概念は、私には存在しない。


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