やさぐれメモ

やさぐれた30代男性の自由帳

新卒で入社したブラック企業の記憶

新卒でブラック企業に入ってしまったときの話。

 

大卒の僕は大きな期待を寄せられ、大切に扱われていました。個人の売上予算はあったものの、それは名目上で責任はゼロ。営業所副所長の小間使いとして運転手や納品、電話番からスタート。他に大した仕事はなかったけれど、就職できただけでも御の字。片道2時間の通勤は全く気になりませんでした。

 

「大切に扱われていた」とは、数字が未達でも物理的に叩かれる&蹴られる&突き飛ばされる、がなかったという意味。ノルマがないから当然、早出して床の雑巾がけをする売上最下位罰ゲームもなし。営業所の数字が悪くても朝7時前の強制早朝出勤は僕だけ免除。先輩たちのように所長から日曜日の急な納品対応を代わりに行かされることもありませんでした。

 

毎日夜10時を過ぎると鬼軍曹の所長に日売りの申告があって、未達の営業は30cm定規やプラスチックファイルの背表紙で怒号とともに叩かれていました。予算達成が見えている人はいつも決まった人で、それをニヤニヤしながら眺めてます。ふくらはぎへのローキックのあと、胸を突き飛ばされて向かいの島へ倒れ込む先輩営業社員。それをわずらわしそうに避けるベテラン社員。

 

所長に遠慮して、所長が帰るまで誰も帰れません。僕と所長以外は全員、営業所の上に寮を用意されていたから終電も関係なかったですし。夜11時を過ぎて、車両出勤の所長が帰るとようやく社員同士で雑談が始まって、カタログ片手に付き合い残業していた僕もやっと帰れる雰囲気になります。

 

梅雨に入るころ、僕は憂鬱な気分が晴れなくなりました。無感動、無反応、無表情だと彼女から心配されるようになりました。「うつ状態」か、その手前だったのでしょうか。

 

8月中旬、土曜出勤の朝でした。大手金融機関で働く大学の友人からメールが来ました。

「9連休が取れたので丹沢に登山に行ってくる!」

最寄駅から会社に向かう途中のことでした。今夜もプロレスを観戦しなければならない自分があまりにみじめで、不覚にも涙をこぼしてしまいました。自分がやられないだけマシじゃないかと呟いたら、さらに泣いてしまいました。土曜の朝で通行人が少なくてよかった。

 

就職留年してようやく内定を得た僕は、幸い、先に卒業していった友人たちとの付き合いがしばらくありませんでした。もし当時フェイスブックのようなものがあって、友人たちの楽しそうな様子を見てしまったら、僕はきっと発狂していたと思います。もちろんみんな人に言わないだけで、それぞれ大変だったとは思うけれど。

 

隣の地区の営業所は、所長が缶ビール片手に若手に説教する毎日だと聞きました。日売り予算達成まで帰ってくるなと怒鳴られ、みんな半泣きで午後7時過ぎから再び客先へ飛び出していくふりをするのだと同期入社から聞かされました。ちなみにこの所長は後に不正を働き懲戒解雇となりました。

 

この会社は腐ってる、みんな狂ってると思ったけど、どうしていいか分かりませんでした。本社に連絡するとか、友人知人に相談するとか、そういった思考が完全に停止していて、ただただ、せっかく苦労して名の知れた大学に入ったのに、友人たちのように将来のキャリアを見据えた学生生活を送らず就職活動に失敗した自分を恨むしかありませんでした。

 

社内暴力のない企業に入社していった友人たちを羨みました。そして一人一台ずつPCとメアドが用意される企業が羨ましく思えました。副所長の手書きの見積書を得意先に渡すのが、いつも恥ずかしくて仕方がありませんでした。副所長は数字の桁を揃えないのでとても読みにくかったのですが、僕だってまだPDFもExcelも知らなくて、どうしていいか分かりませんでした。

 

8月の終わり、得意先の仲の良い担当者から僕の会社と副所長をバカにされた帰り道、営業車のカーラジオから中島美嘉のWILLが流れ出した途端、声を上げて泣きました。自分の不甲斐なさを呪いました。

 

退職願を出して会社を去る日、晴々とした気持ちで空を見上げたときの、透き通った初秋の空の青さに吸い込まれる感覚。ずっと下を向いていて空なんか見てなかったんだって、そのとき気付いて声を出して笑ってしまいました。もう社内暴力を見なくていいんだ。たった半年しか我慢できなかったけど、若さを武器に就職活動をやり直そう。今度はもっと長く続けられるように。とても清々しい気分でした。

 

9月になると毎年思い出す、駆け出しの頃のしょっぱい記憶。

 

本社から事情聴取の呼び出しがあったのは、それから四日後のことでした。