やさぐれメモ

やさぐれた30代男性の自由帳

言い尽くされてきた、学歴コンプの克服法

運動会は、運動好きな子供にとっては、お祭り。

運動会の花形、クラス対抗リレー。

僕は小中と毎年、スタートを任されてきた。本当はアンカーをやってみたかったんだけど、僕は毎年、どのクラスでも足の速さが2番だったから(勉強も運動もいつも2番手)。スタートは会場が息をのんで見守る美味しい役。差が付いてまわってくるアンカーよりも注目度が高いから十分満足。

 

小学校では、1学年120人くらいのクラス対抗リレーとは別に、代表リレーなるものが存在していた。縦割りで男女混合24人×3チーム対抗だったか。

運動会が近くなると、候補者は放課後に集められ100m走で選抜される。1年生から6年生まで、選抜された子は本番まで毎日、チームでバトンパスの練習を行う。

 

代表選手には6年間で3~4回くらい選出されたと思う。その中で忘れられないのが6年生の選抜の時。

3~4人の候補者のなかに1組の大浜君がいた。その年は1組から希望者が出ず、担任の先生が彼を推薦したと聞いた。4年生の時にクラスが一緒になって、彼の大人びた考え方に子供ながら「感銘」を受けた。鈴木君とともに仲が良かった。

 

彼は選抜されるに十分な足の速さだったけれど、最後の10mで力を抜いて僕が当確、彼は落選した。理由を聞くと、「リレーの練習があると塾に遅れるから」だった。彼も私立に行くんだなぁ、鈴木君同様、取り返せない差がここでも静かに生まれているんだな、と思った。トップに手を抜かれて当確する、実質いつもの2番手のポジション。2番手は慣れっこだが、彼の理由は印象的だった。

 

彼は東邦大東邦だったか難関私立中に進み、その後都立大に進学した。お互い大学生になって話をする機会があったけど、変わらず飄々としていた一方で、お互いの大学名を知るまでのジャブの打ち方、通う大学に劣等感がないことを確認する様子に彼のコミュニケーションの取り方というか、処世術的なものが感じられた。学歴コンプの人とのやり取りから何か学んだのかもしれないと思った。都立大は第一志望で受かって嬉しかったと言っていた。意味がないからリレーの話はしなかった。

 

もし自分が大学に進学できていなかったら、進学できても志望校じゃなかったら悔しいだろうな。滑り止めで偏差値が低かったら、一部で根強く残る学歴信仰、それに対する劣等感に苦しんだのだろうか、とふと思う。書いていて気が付いたけど、一部で根強く残るというのは僕の胸中でもある。

 

浪人してまで勉強させてもらえて、親には本当に感謝している。第一志望の大学に進学させてもらえた。おかげでいわゆる学歴コンプで苦しんだことはほとんどない。入学当初、学内の学部ヒエラルキーくらいか。

学歴好きな知り合いが言っていた。学歴は一生ついてまわるものだから、できるかぎりトップの大学に進学することで、後に生まれてくるであろう劣等感の芽を前もって摘んだ、と。その人は東大工学部からハーバード大学MBA、就職先はクレディなんちゃら。セゾンじゃない、ファーストなんちゃらのほう。

 

そういえば働き出して3年目、旅先の宿で30歳くらいの筑波の大学院生と相部屋になった。その人は関西の「ごっつい進学校」から京大を出て就職し、仕事の関係で筑波の院に通っているのだけれど、最終学歴が筑波になって「逆学歴ロンダリング」だと自嘲気味に話してくれた。ゲスい話題を明るく楽しく語り、不思議と好感の湧く人だった。

 

なぜ学歴の話になったかというと、同宿にどっかの田舎のなんちゃら第一高校の先生がいて、僕ら二人は夕食後にその高校の進学実績の話を延々と聞かされていたから。

県内でライバルのうんたら高校は昨年の東大合格者数が何人で、うちのほうが何人多かったんだ。それまでは医学部や国公立合格者では上回っていて、東大合格者だけが負けていたから、今年は気分が良い、云々。

 

筑波院生(京大卒)はその先生について「彼は学歴コンプレックスがあるんだね」と言いい、僕も同意した。「これでやさぐれさんも分かったでしょ、僕の逆学歴ロンダリングのバカ話。やさぐれさんは僕と同じこっち側、劣等感がないって意味で勝ち組。あの先生はあっち側、劣等感に負け続けている側の人間。あれじゃ当分こっち側には来られない。

 

曰く、「底辺校でも劣等感を克服するという階層移動は可能。出身校がどこであろうと自分に自信が持てればね。僕はさっき京大卒の肩書がもったいないって言ったけど、京大とか筑波とか関係なく、今の研究が人に胸を張れる内容だからぶっちゃけどうでもいい。僕が思うにあの先生は生徒を難関大学にたくさん進学させているのに、なぜか胸を張れない、どこか満たされていないんだよね。誰かと比べている限り、さ。

 

大浜君だけじゃない、巣鴨の鈴木君、武蔵中に進んだ山岡君。

高校進学でも私立に行った連中や学区トップ校に進んだ連中。僕は受験のたびに彼らと埋めがたい差が開いていくと思っていたから、暗くはないけれど一種の学歴コンプレックスだったとも思う。僕が劣等感に苦しまなかったのは、自分の器を早々に悟っていたからであって、その器を大学受験の猛勉強で広げることができたから、他人と比べていつも2番とか関係なく、自分の中の一番、第一志望の大学に進むことができたからこじらせずにすんでいる。そこには他人との比較が前提の偏差値は関係ない。

 

裕福ではなかったけれど勉強できる環境を用意してくれた両親に感謝。